報告とは、相手を思いやることだ。
仕事をしていて思うこと。
結局、上司部下との関係を持って仕事を進めるためには、報告がつきもの。
報告がなくなると、どうなるのか?
まず、報告とは、こうだ。
告げ知らせること。特に、ある任務を与えられた者が、その経過や結果などを述べること。
報告ないことにより、上司の判断が鈍る。
適切な判断をするための情報が不足する。
そもそも、会社にいる以上、仕事は複数人で協力して行うものです。
なので、仕事を共闘して進めるためには、どちらかがメンバーの作業状況の共有を行わなきゃならない。都度作業状況について、共通認識を持たなければなりません。
じゃあ、報告がなかったら、どうなるの?
ずばり、「上司が部下に対して、ヒアリングしなければならない。」
冒頭でも述べたように、結局のところ、上司が部下の作業情報を把握し、
適切な判断をするための材料として、報告が必要なわけです。
そして、
部下⇒上司 の「報告」は
上司⇒部下 の「状況のヒアリング」の裏返しなわけです。
つまるところ、部下と上司「どっちがやるか」の問題でしかない。
上司が自分の作業状況をヒアリングして把握する手間をかけさせる前に、自分から報告しましょう。
そして、
- どれだけ、自分の仕事の影響が、他人に影響を及ぼしているかを自覚しているか??
- チームとしての当事者意識があるか
が、報告の質に直結してきます。
上司がどんな情報があれば、適切な判断をして、仕事を前に進めることができるのか。
よく考えることが大事です。
慣れてくると、お決まりの作業状況のパターンで報告するようになってしまいますが、もっと背景にある目的を押さえておかないと、形骸化してしまう時もあると思います。
(もちろん、報告の「型」に従ってやることも大事なのですが。)
以上、「報告」のベースにあるものは「相手への思いやり」である、という話でした。